あいまいな思い。

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宅急便を受け取りに、深夜のコンビニへ。
レジに並んで会計を待ちながら、
「この店員さんは何かがありそうだな、、、」
と勘付いた。

前の人が会計を終えたあと、レジに近付きながら、
それとなく店員さんの左手に目をやった。
袖の隙間からリストカットの傷跡が幾筋も覗いているのを見つけたのは、その時だった。
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「あぁ、やっぱりそうか。。」
事前に察知した自分が空恐ろしくて、
私は努めて表情を消して会計を終えた。

『心の病』というのだろうか、
そういうのを患ってる人が”分かる”時がある。
何故分かるのか。何が基準で分かるのか。
そんなことは分からない。
でも、たしかに勘付く事がある。
それは「同じエレベーターに乗り合わせた時」であったり、
「たまたま居合わせた料理店の隣のテーブル」であったりする。

そして、こうも思う。
「私だって知らずに察知されてるだろう」と。

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近頃、大学在学中の、”病気のひどかった頃の自分”を思い返すことがある。
当時の私は実にひどいものだった。
生きているという実感に乏しく、そのくせ感受性だけは強く、
無根拠な自信だけがある。
強烈な自殺願望があると同時に、”捨て身の潔さ”みたいなものをも漂わせている。

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あれから何年もの歳月が経って、
私は(きわどいながらも)「普通に近い」生活が送れるようになった。
当時を回想できるようになったのは、あるいはその為かもしれない。

でも、仮に元気になった今の自分が昔に戻れたとしても、
”当時の自分”を説得することも、なだめることも出来ないだろうと思う。
むしろ返り討ちに遭ったり、
「未来からやって来た裏切り者」
と口汚く罵られるだろう事は、なんとなく”分かって”しまう。

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当たり前のことだけれど、「今の私」は「昔の私」を内包して生きている。
心のどこか−それも”片隅”とは言えないほど広大などこか−を伴って、
私の内部に居る。
当時の自分を切り開くことも、無かった事にすることも出来ないまま、
今日も私は生きている。

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元気になった今でも、初対面の相手の左腕を見てしまう癖が、
私にはある。
傷一つない腕を発見する度、『あぁ、良いな』と思う。
でも、『うらやましいな』とは思わない。

反対に、傷跡のある人を見つけてしまうと、
ほとんど本能的に、引きずり込まれるような共感を覚えてしまう。
何か話しかけたい、と思ってしまう自分を発見する。

傷跡のある人に対し「過度に距離を取ってしまう」
という私の態度は、多分そのあたりにあると思うのです。

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by futoshi84 | 2016-11-16 23:03 | うつ