良い日、悪い日、ダメな日、ダメな自分。

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きわめて長く、個人的な内容です;

完全にうつ日記です、ごめんなさい(´_`。)





つづき。

目が覚めたのは早朝の5時21分だった。

『夏は日の出が早いから好きなんだ。』
心の底からそう思う。
パソコンの電源を入れ、
起ち上がるまでの時間に冷水で顔を洗う私。

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―冬場は辛いからなぁ。

朝5時くらいに起きると外はまだ真っ暗で、
しかも日が昇る気配すらない。
あの時に味わう気持ちというのは、
打ちのめされる感じというか何と言うか、
この歳になっても馴染むことが出来ない。

自室に戻ってくるとパソコンが使える状態になっていた。
『いつも通りだ。』
呟いた。

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密かに慕っている方々のブログを一つ一つ読む。
メールも一通一通目を通す。
気が付いた頃には、パソコンの時計が午前5時56分を指していた。

『わっ、いけないいけない』

慌てて台所へ行き、お湯を沸かす。
その間にガラガラとコーヒーを挽いた。
挽き終えたところで息を吸い込み、
一呼吸置いたのち、本日の第一声を放った。

『おはよう。6時だゼ。』





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―あなたが豆を挽く音を聞きながら目覚めるのが好き―

かつて妻にそう言われた。
素直にいい言葉だと感じた。墓場まで持ってゆくべき言葉だとも思った。
だから6時キッカリに豆を挽くのである。

妻は寝起きが悪い。
すぐにはテキパキ動けないのだという。
血圧か何かが影響しているのかもしれない。

起きた四秒後には活発な私には、
この問題が分かりにくかった。

『そういうものか』 
ということで、妻が気持ちよく起きれる方法を、
私なりに表現しようとしている。

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今日のコーヒーはメキシコのものだ。
メキシコって、コーヒー作ってたんだなぁ・・・知らなかったよ。
世の中は広すぎて困るんだぜ・・・
苦笑しながらお湯を注ぐ。

ここのコーヒー豆屋さんは、
日本でも、ひょっとしたら世界でも指折りの腕だと個人的には思う。

『世界屈指のコーヒーを、毎日飲める仕合せよ』
微かに口元が緩む。

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『出来たで、飲みゃあ』

化粧をする妻にコップを渡しつつ、名古屋弁で言った。
出来たからまぁ飲め、くらいの意味である。

妻も私も、生まれも育ちも名古屋だった。
だから名古屋弁はそのまま通じる。
小気味が良かった。

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寝起きの妻は大抵気分がすぐれないので、
刺激しないよう、そっとしておくようにしている。

『大丈夫?』
『バナナとメロンあるよ?食べる?』

努めて声をかけていた時期もあったが、
そっとしておくことが実は一番のようだ、と今では気が付いた。

今日が収集日ののゴミを袋にまとめ、
前夜洗ったお皿をキチンと食器棚に仕舞う。


私の日常というのは、全ての所作に順番がある。
"やるべきこと"と"今出来ること"を比べると、
前者が圧倒的に多い。

『でも、出来ることはなるべくやるんだゼ。』
テキパキとゴミ袋をまとめた。






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妻と私は年齢が一回りほど違っていて、
平たく言えば、妻は結構年上だ。

そして、年収は多分、10倍くらいは開きがある。

『オトコは外で働いて、妻は家を守る』
という、いい意味での日本的伝統が順守出来るはずも無かった。

妻の仕事は激務だった。
働いて、働いて、働いて、家賃から光熱費から全てを捻出し続けている。

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『代わりに自分が出来ることは何だろう』

東京でふたり暮らしを始めた当初、
長い時間をかけて考えた。
そして一つの解に達した。

『私が、仕事以外の一切を受け持つ』。

最初は料理とゴミ出ししか出来なかった。

ふたり暮らしを始めた半年後、
初めて洗濯物のたたんだ。
一年後、掃除機のかけ方を知った。
一年半後、アイロンのかけ方を覚えた。

全て妻から教わった。

東京に来たばかりの自分というのは、
洗濯機のボタンの押し方ひとつ知らなかったのである。

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夜、帰ってきた妻が玄関を開ける。
するとあつあつのご飯が食卓に乗っている・・・
それが私の実現した"理想"だった。

妻の好みは知り抜いていたし、
相手の体調・気分に合った献立を予測して作ることも可能だった。

『どうしてこれが食べたいって分かったの?!』
疲れて帰ってきた妻が驚くことがよくあった。

『腐れ縁だぜ、ナメんなよっ!』
鍋を洗う手を休めず、振り返りながら笑ったものだった。






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妻と付き合うと決めた時、既に結婚することをも決めていた。
半端な気持ちで付き合うものではないと思っていたし、
状況が状況だったから。

5年間くらい交際して、それから籍を入れた日の朝、

―この人との関係が終わる時が、すなわち自分が死ぬ時だ―

心に誓ったことを、今でもはっきり覚えている。
入籍というのは簡単なもので、
『紙切れ一枚』 などと表現されることもある。

市役所や区役所などに行って婚姻届を提出すると、
後日戸籍が出来上がる。
それだけの話なのかもしれない。

だからこそ―

誰から強制されたわけでもなく、自分なりにケリを付ける。
私は自分が情にもろく、更に言えば情が移りやすいことに、
早い時期から気が付いていた。

致命的とも言える欠陥であり、
矯正しようと苦慮し続け、ついに克服出来なかった。
そのことは、妻もよく知っている。

もし万が一、私が妻以外の女の人のところへ行ってしまうことがあるならば、
行く前に自分を始末するつもりでいる。






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『妻を全力で防衛する』
というのは、交際が始まった6年前から堅持し続けている信条だ。
それを体現したのが、中東への新婚旅行だ。

『なにも、新婚旅行であんな物騒なところへ行かなくてもいいのに』
という意見は、当時、家族・知人などが口を揃えて放った言葉だ。

(・・・・アホには付き合いきれん)
正直そう思った。

連中の中東に対するイメージというのは、
せいぜいニュースで見る自爆テロや紛争だけだ。
しかも、中東に関する知識は10年や20年くらいは平気で遅れている。
更に言えば、『ヨルダンがどこにあるか分かりますか?』
と地球儀を見せたところで、即答できる人間など誰ひとりいないのである。

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『私は大学では中東専門でした』
大抵はその言葉で済ませた。

『中東には何回行ったか覚えてない程だ』
とも言った。

無論、私たちの目的地が安全圏だという意味ではなかった。
イスラエルには時折ミサイルが飛んできていたし、
ヨルダンには日を追うごとに難民が流入し、
紛争の余波が及ぶのでは、という見解もあった。

私は徹底的にニュースを洗った。
新聞、英文ニュース、アルジャジーラ。
ついには現地の知人に直接メールもした。

結果的に、新婚旅行中はなんの遺漏も生じなかった。
かすり傷ひとつ負わずに自宅へ戻った。

『運が良かっただけだろ』
と、ある人に後日いわれた。
確かにその通りだが、旅での運の善し悪しというのは、
やるべきことをやったのちに身を委ねるべきものだと思っている。






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『あたかも親友の如し』。

私たち夫婦をよく知る人は、皆そう言う。
『夫婦じゃないみたい。兄弟とか、親友みたい』
冗談を飛ばしながらじゃれ合っている我々は、
周りからはそう見えるらしい。


『夫婦』には様々なカタチがあると思うが、
私は『無用な垣根を作らない』ということを実践していた。

主人だからエラいとか、女は黙ってろとか、
そういう発想は好きになれなかったし、
実を言うと今でも好きではない。

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私は自分の能力が人並み外れて劣っていることを知っていた。
(精神的にもろい、話をすぐ忘れる、覚えが悪い、
 融通がきかない、無意味に几帳面等)

学生時代、自分はこんなにアホなのかと痛感した。
小学校の漢字テストで2点を取り、
『ふわふわしとったらイカン』 と大喝された。

漢字テストで2点というのは、
例え取ろうと思っても容易に取れるものではない。

『自分はバカだ。しかも、救いのないバカだ。』
帰ってメソメソ泣いた。

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高校に上がった頃、『努力が、全てではないか』 そう思った。
同じことを覚えるのに、人の5倍の時間がかかる。

―問題なのは、自分に5倍の努力が出来るかどうかだけではないか?

そう思って、人の5倍は勉強した。
周りが翌日に控えたテストの勉強をしている時、
自分はその次の学期のテスト勉強をしていた。

数カ月後には、学年順位がひと桁になっていた。



私に出来ないことが妻は出来るし、
妻が出来ない分野は私が責任を持って全うしたかった。

そこには上下関係は存在しない。
お互いがお互いを尊敬しあえれば、
あとのことは関係がないように思った。






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定刻通り、妻と家を出た。

『今日は雨が降るゼ。転ぶなよ』 
言いながら傘を手渡した。

二人で駅へ歩いて行く。
私の傘は度外れて大きい。妻と相合い傘をしてもスッポリ収まるほどだ。

『ビーチパラソルよ、それ』
妻はいつも笑って言う。

『バカほど大きなものが好きだからな』
ポンポンと頭を叩きながら応えるのが私の常だった。

・・・願わくば、この傘のような人間でありたいものだ。

一瞬そう思ったが、口には出さなかった。










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私たちは昨夜までケンカが続いていた。

いや、この表現は的確ではないかもしれない。
私たちにとってケンカは日常であり、
しかも、ほぼ毎回、非は私にある。
つまらないことで腹を立て妻を傷付けてばかりだった。

毎回、今度ばかりはもうダメだと思う。
そのうち元の鞘に収まるサとか、
そういう生ぬるさは全く無い。

一回一回が、最後のケンカに思えるのだ。

今日こそそれを変えたかった。
今日からそれを変えたかった。

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改札が近づいてきた。

『愛しておる』 。

今日こそそう言おう、と思っていた。
平素、私は愛情表現をほとんど口にしない。
気軽に発言してはいけないと思っているからだ。


赤い定期券ケースを取り出した妻を見て、
アレ?定期券の更新、いつだっけ、と思った。

近ごろのICカードは便利過ぎる。
定期の期限が過ぎると、チャージした分から勝手に引かれて行くのである。
妻の定期券の期限を気にするのも私の仕事の一つなのだ。
だから聞いた。

『期限、大丈夫?』
『あ゛ぁ。。。』

妻が答えたのはそれだけだった。
いちいちめんどくせぇ、こっちはこれから仕事なんだ、
というような声だった。

『ゴメンっ』
きびすを返して駅を出た。

言おう言おうと思っていた言葉、結局言えずじまいだった。

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台無しって、こういうことを言うのかなぁ・・・?
押し入れをガソゴソしながら考えた。
取り出したのは薬の入った袋だった。

心療内科への通院が先日終わったとはいえ、
一体全体、どれくらいの薬を自分が保有しているのか、
当人にも見当がつかなかった。

数えたこともない。
処方された色んな薬を総合すると、
500錠は堅いことだけは確かだ。
処分すべきなのだが、なんとなく放置され続けている。

どこからか、選挙の演説が聞こえてくる。
近々選挙があるのだという。
投票がいつなのか、私は知らなかった。

少し前に投票用紙がポストに入っていたのは覚えている。
開封せずどこかへやったことも覚えている。
あの日、私たち夫婦は危機的状況で、
政治よりもずっと大切なことがあったからだ。
(だから投票用紙を無くしてもいい、という理由にはならないが。)

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・・・もう、疲れたよ・・・

思うだけにしたかったが、知らぬ間に口をついて出ていた。
その声を聞いて余計疲れた。


近年の睡眠薬は安全になってきていて、
沢山飲んでも死ねない、という。

いくらなんでも、700錠くらい飲めば死ねるだろ?
そう思った。もう何でもいい、とも思った。
ばらばらと錠剤の詰まったシートを床に広げた。
睡眠導入剤、精神安定剤。なんの効能があるか忘れてしまった薬・・・

『悪いのは、いつも私ですから・・・』

ピンクのシートに手を伸ばした。
あぁ、睡眠薬か。

『眠れない時に飲んでください。1日に3錠まで大丈夫です。』
最後の診療で処方された薬だ。

パチリパチリと錠剤を開封した。
しばし迷い、一粒だけ飲んだ。


夕方には目が覚めるよ。

誰かを責めることは出来ない。責めたくもない。
自分の意識を消すしか無いんだ。


少しの間、おやすみなさい。ごめんなさい。
by futoshi84 | 2013-06-20 10:47 | うつ