帝国から解き放ってくれたあなたへ。

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小雨が降った梅雨の夕方、
9枚に及んだ英文の手紙を書き終えた私はやっと一息ついた。

『コーヒーが飲みたいもんだ』
そう思った。ただ、名古屋の家には良いコーヒーが無い。
代わりにお茶をガブリと飲み、再び机に向かう。






つづき。

・・・うん。
『曙(あけぼの)に』を初句とする俳句を即興で創り、筆で一気に書ききった。

『・・・我ながら、下手な句だ。』
失笑を禁じえなかったが、まぁいいか。
ついでに言うと、筆を持ったのは10年ぶりくらいだ。
文字はメチャクチャで、何とか読める、という程度だったかもしれない。

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・・・それにしても、きわどい歌だよなぁ。

内容のことはなるべく気にせず、
シャキッと畳んで封筒に入れ、小包にも封をした。
小雨の降る中クルマを走らせた。

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この小包がオランダ国に着くのは一週間後だろうか?
それとも10日くらいだろうか・・・?
喜ぶあの人を思い浮かべると、
不思議と心があたたかくなった。





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(以下、個人的な話です;)

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『自分の人生は、18年くらいが丁度良い』
というのは、思春期の自分が絶えず持ち続けた発想だった。

"持続"がこの世の何より苦手だった自分は、
鮮やかな一花を咲かせ、
あとは花火のように潔く消えていけばいいと思っていた。

忽然と光り輝く流星のような一生である。

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その18歳が何事もなく過ぎ、
19か20歳になった自分は慌てふためいた。
将来どうすればいいのか、見当も付かなかったのである。
これ以上続いてもらっては迷惑なだけだと、
そうも思った。


型通り(ではなかったが)大学へ入った。
入って何を為すとか、
そういうことはハッキリ言ってどうでも良かったから、
家から一番近い大学を選んだ。

『目的なんて、行きゃあ分かるサ』 
名古屋弁でそんなことを思っていた。
救いのないアホだった。

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大学時代の自分は有閑階級のごとき状態だったので、

『何故生きるのか』
『どう死ぬべきか』

という観念論にたちまち惹きこまれた。
やることといえばそれくらいしか無かったし、
それほど大学生活は退屈だった。

『その種の自問は無用のことというより、
 ひょっとすると身を滅ぼすほど有害なことかもしれない。』
そういう簡単な事実に、
オトナであるはずの当時の自分は気付きもしなかった。

『自分は無価値である』
『生きるよりも死ぬほうが綺羅びやかだ』

威勢のいい言葉を、声を大にして揚言していた頃が、
おそらく自分が最も危険だった頃だと思う。

臨床心理士だとか医師だとか家族とか、
そういう取り巻きの連中は全て敵だとも思った。
言葉の通じぬ愛犬だけが家族だとも思った。








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この段階から『多少マトモ』になるまで実に4年近くかかるのですが、
最後に私を救い上げてくれたのは、
一年ほど前に突如、雲のように現れたオランダの人でした。

輝くばかりに前向きな思考と、卓越した学殖。
そして、それを自在に発揮できる伸びやかな心。

そういう人間はこれまで一度も見たことがありませんでした。
オランダのお国柄なのか?
それとも生まれついての性格なのか?
多分、どちらも正解なのだと思います。

光を照らしてくれたその人を見続けた私が
『もう一度だけやってみよう』 と重い腰を上げたのは、
それからしばらくしてからでした。






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ところで、2006年に中東から持ち帰った数少ない文物の中に、
『サレンディル』
と呼ばれる石がありました。

赤茶けた5センチほどの円柱の石に、種を蒔く人々の姿が彫られたものです。
本当に数少ない、私の宝物でした。
買うと決めた当初から死ぬまで手元に置くつもりだったし、
誰かに渡すなんて夢想したことすらありませんでした。

それを今回、本や手紙に紛れ込ませるように入れて発送しました。


『自分には意味が無い』

という愚論を、優しくほどいてくれたあなたへ
しかと 届きますように。
by futoshi84 | 2013-05-31 15:06 | その他