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上野の美術館へ向かう道すがら、
皇居の周りをポタリング。
休日だからかな?自転車道になってて、
ランニングしてる人もたっくさん。

こういう一日も楽しいものです。

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by futoshi84 | 2017-11-30 07:28 | 外出
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神楽坂のパン屋さん”PAUL”のトイレで泣いてしまう。
私は一体、いつになれば泣き止むのだろうか....

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by futoshi84 | 2017-11-28 20:30
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料理とは命であり、福音であり、人生そのものである。

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by futoshi84 | 2017-11-27 09:43 | 料理
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by futoshi84 | 2017-11-24 08:31 | その他
統合失調症の寛解から何年も経って、
『そろそろ何かが書けるんじゃないか』
そう思えるようになってきたので。
今日はちらりと書いてみます。
(『病気について』カテゴリの日記、久し振りだなぁ・・^^;)

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『あれ、自殺願望、無くなってきたよなぁ・・・』
そう気が付いたのは2017年の初めだったから、一年近く前のことです。

私は高校入学の頃から断続的に自殺願望に苛まれ、
人生の半分は“そんな気持ち”と共に過ごしてきました。
これだけ長期間が経つと、
いつの間にか自殺願望が自分の一部に組み込まれ、
ついにはアイデンティティの根幹になってしまう。

けれども私は、そのことをさほど気に病んではいませんでした。
世間でよく聞く深酒やゲーム依存だって、
カタチを変えた自傷行為ではないか・・・
ならば、何も自殺願望だけが悪いわけでもないしな・・・
そう考えていたからです。

そこには自殺願望に対する愛着があったのも事実です。
私は『いつでも死ぬことができる自分』を愛し、
そういう人間は潔くて良いじゃないか、
そう思って生きてきました。

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今振り返ってみれば、それは単なる言い訳だったのでしょう。
自我より自殺願望のほうがずっと巨大な状態がずっと続き、
自分自身がいつ呑み込まれてもおかしくはない。
そうなった時、自分にできる事などほとんど何ひとつありはしないのだ・・・
そんな状態で15年近く過ごしてきました。

その無力感に背を向けるため、
『自殺願望って良いよね』
そう思っていたフシがある。今はそう思います。

怖いのは、これだけ心の隅々まで自殺願望が根を張ってしまうと、
絡まった糸のようにもはや解けなくなってしまう、という点です。
無理に自殺願望を引き剥がそうとすれば、
自分自身がバラバラになってしまう。
その過程でアイデンティティも粉々になり、
自分は死ぬことになるだろう。
『これは絶対に触れちゃいけない場所だぞ』
恐怖にも似た確信がありました。

だからずっと、自殺願望を治そうとは思っていませんでした。
夜更けに幹線道路沿いを自転車で走ってる時なんか、
ふと思うことがあるんです。
『あぁ、今あのダンプカーにひかれて死ぬのも良いなぁ、、』って。

私はその気持ちをどうすることも出来なかった。
『そんなこと考えちゃダメだ』とも言い切れなかったし、
かと言って積極的に肯定することも出来なかった。
それは非常に辛いことです。
判断を下さないということは、
結局はその二つの間を絶えず揺れ動くことだからです。

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自殺願望が薄れてきた今年のはじめ、
まるで家族の一員を失うような愛惜を覚えずにはいられませんでした。
たとえそれが破滅的な考えで、
いずれ自分を死に追いやるものだとしても、
私にとっては長い長い腐れ縁のような付き合いだったからです。
自殺願望がある期間(かなり長期にわたって)私を生かしていたことは、
否定の出来ない事実です。

近年、私の過去を知る人から、
どうやって心の病を治したのかと尋ねられることがあります。
そんな時、私は決まって首をひねってしまいます。
『ちょっとよく分からないな。。』そう深く考え込んでしまう。

何かを治した・解決したという感覚が、
私には全くないからです。
別に私が精神的に強かったわけでもない。
(精神の強弱など関係ない、というのが私の持論です)

こういうことを書くと医者や家族に叱られそうですが、
でも、結果的にはこうです。
『たまたま運良く治った。それだけです』。


こんな回答は、何の足しにもならないですよね?
多分聞いた本人も、私の答えを聞いてガッカリ肩を落とすと思うんです。
でもね、ほかに何と答えるべきでしょうか?
精神疾患にかかったのが『たまたま』『運悪く』なのであれば、
それがこうして『たまたま』『運良く』快方に向かうことは、
私にとってひどく自然のように感じてしまうのです。

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表現は悪いけど、私にとっての精神疾患は、
お正月の福袋に似ていました。

外から見ても、よく分からない。
袋を開ければ、良いものがあり、『これはちょっと・・』というものもある。
けれども、それらを全部机に並べたからといって、
じゃあそれで何か分かるのかと問われれば、
『やっぱり、よく分からない』と答えるしか無い。
ずっと謎なんです。多分これからも。

精神疾患から日常に復帰した方の中には、
闘病生活から人生の意義を見出す人もいる、と聞きます。

その点、私が学んだことと言えば、非常に心細いものでしかない。
『意味はわからないけれど、それでもまぁ付き合ってゆくか・・・』
という、ふにゃふにゃと弱々しい精神なんです。

でもね、案外この発想こそが、自殺願望がなくなった遠因ではないか・・・
そう思う瞬間も、あるのです。

(卵が先か鶏が先か、みたいな終わり方になっちゃいましたね)


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『とりあえず生ビールで』

という世界観には、違和感しか感じない。

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by futoshi84 | 2017-11-22 12:57 | その他
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自転車で錦糸町まで。
隅田川から眺める夕焼けとシルエットになった船、
印象派の絵画みたいに素敵でした。

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by futoshi84 | 2017-11-20 07:33 | 外出
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抱き合って至福に浸る私と
罪悪感から逃れられない私と。

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by futoshi84 | 2017-11-18 21:44 | その他
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『こらっ!何やってんの?!』

『忘れ物しちゃって、急いでたし、つい、、、』

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by futoshi84 | 2017-11-17 08:15 | その他
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深い眠りに佇む君と、
それを横目に読書に勤しむ私と、
午後を伝える優しい日差しと。

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by futoshi84 | 2017-11-15 09:23 | ともだち